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気学の考え

運は先天にあらず後天にあり

よく運が自分は悪いとか、不幸体質だとかいう言葉が聞かれます。
でも本当に不幸体質なんてあるのでしょうか?
気学では、運は自分によっていくらでも変えられるという考え方があります。
今おかれている状況が悪い状況だったとしても、努力次第でいくらでも変えていけるのです。

さて、ここでたとえ話をしてみましょう。

昔々あるところに裕福な庄屋さんと、貧しい村人が住んでいました。
ある日この二人に、同じ日、同じ時間にとてもかわいい男の子が生まれました。
庄屋さんの家の男の子は「新兵衛」と、貧しい村人の男の子は「八吉」と名づけられ大切に育てられました。

ところがこの二人には、大きな違いがあったのです。
新兵衛は何の苦労も知らず、おいしいものをいっぱい食べて暮らしていました。
ところが八吉はいつもお腹を空かせ、毎日つらい思いをしていました。
八吉は「どうしてオラと庄屋さんとこの新兵衛と同じ日、同じ時刻に生まれたのに、どんなに境遇が違うんだ」と思っていました。
そして八吉は「いつか金持ちになって、おいしいものを腹いっぱい食べてやる」と思うようになったのです。

ある日決心した八吉は、村を出て町へ働きに行きました。
町に働きに出た八吉は、いつも陰日なたなく一生懸命に働きました。
そんな八吉に町の人は、信頼を寄せるようになったのです。

そしてとうとう八吉は、町一番のお金持ちになり、念願のおいしいものをお腹いっぱい食べられるようになったのです。

一方苦労知らずで育った新兵衛は、働くこともせずに、毎日遊び暮らしていました。
気がつくと、あれだけ裕福だった家は、少しずつ傾いてとうとう没落してしまいました。

このように同じ日に生まれたとしても、裕福だったり貧しかったりと色々です。
しかし、その後の人生で努力することによって、運は変えられるのです。
ですから、運が悪いとか不幸体質とか思い悩む必要はないのです。


万物は相剋よりなる

これは宇宙にあるすべてのものは、相性が良いもの悪いものがあり、相性が悪いもの同士があるからこそ新しいものが生まれ、成長するということです。

相性が悪いと敵対し、良い方向へは流れないというイメージがあります。
しかし相性が悪いからこそ新しい何かが生まれることがあるのです。

そんなたとえ話を昔話風に話してみましょう。

昔々ある小さな村に権兵衛さんと佐吉さんという男が住んでいました。
ところがこの二人はとても仲が悪く、顔をあわせるといつもケンカばかりしていました。

ある日この村に大きな嵐がやってきました。嵐が過ぎ去ってしまうと、さぁ大変、町に通じるただ一つの橋が壊れてしまっています。
これには村人達全員が困ってしまいました。

そこで村人全員が庄屋さんの家に集まり、壊れてしまった橋の相談をしました。
結局みんなで力を合わせて、橋を新しく架けなおそうという事になりました。
そしてどのような橋を架けるか相談を始めたところ、仲の悪い権兵衛さんと佐吉さんが言い争いを始めました。
「権兵衛、お前の案は丈夫な橋を作れないだ」
「いんや、佐吉お前の案の方が丈夫な橋を作れないだ」
村人は最初のうちは、「また始まった」と苦笑して言い争いを見守っていましたが、二人の言い争いは終わりそうにもありません。
村人達も疲れてしまいました。
そこで見かねた庄屋さんが、「よし、オラが二人の言い分を聞くだ」と言いました。
庄屋さんは二人の言い分を聞き、それぞれの二人の意見の良い部分を採用しました。
権兵衛さんと佐吉さんは自分の言い分が通って大喜びです。

しばらくして村人全員の力で念願の橋が出来上がりました。
今度はどんな嵐がきても、大きな荷物を運んでも壊れそうにありません。
これには村人全員大満足です。

権兵衛さんと佐吉さんのケンカには、村人達は迷惑させられましたが、二人の言い争いのおかげで、立派な橋が出来上がったので、もう誰も文句を言いません。

万物は相剋よりなるとは、相性が良いもの同士だと何も生まれない、相反するものがいてこそ、発展性があるということです。

ですから相性が悪いからとネガティブにならず、これが成長のための一つの出来事なのです。


吉凶は動より生じる

動くことにより、良い事も悪いことも起こるということです。逆に動かなければ何の変化もないということです。
分かるような分からないようなお話ですね。
なんとなくイメージがつかみにくいので、今回も昔話に例えて話をしてみましょう。

昔々あるところに働き者のおじいさんと怠け者のおじいさんが住んでいました。働き者のおじいさんは日々一生懸命朝から晩まで田んぼに出ては、稲の手入れをしていました。
それに対して、怠け者のおじいさんはいつも家でゴロゴロとしていました。そのため怠けもののおじいさんの田んぼには、働き者のおじいさんの田んぼとは違い、いつも草がボウボウと生い茂っていました。

そうしているうちに夏が過ぎ、秋になり、そろそろ収穫の時期がやってきました。働き者のおじいさんの田んぼには、黄金色の稲穂がたくさん頭を垂れていました。
この光景を見て、働き者のおじいさんは今年も無事に冬が越せ、お正月においしいお餅が食べられる、これはありがたいことだと思いました。
一方怠け者のおじいさんの田んぼには相変わらず草が生い茂っていました。
それでも怠け者のおじいさんは、何も考えず、ただただゴロゴロしていました。

さぁ〜明日は稲刈りだと思っていたその日の晩から突然嵐がやってきました。
ものすごい暴風雨で、働き者のおじいさんも怠け者のおじいさんも、家が壊れるのではないかと生きた心地がしませんでした。次の日嵐は無事に過ぎ去りました。
幸い両おじいさんの家はなんともなく、朝を迎えることができたのです。

ほっとした働き者のおじいさんは、外に出たとたん目の前が真っ暗になりました。
それは丹精こめて育ててきた稲が、嵐のために全部ダメになったのでした。
せっかく一生懸命育ててきたのに稲は全滅です。おじいさんは、今年の冬はどうやって越せばいいのだろうと思ってしまったのです。

ところで、怠け者のおじいさんの方は育てている稲はありません。ですから稲が全滅することも、目の前が真っ暗になることもありません。そして怠け者のおじいさんは、またいつもと同じように部屋でゴロゴロとしました。

さて目の前が真っ暗になった働き者のおじいさんはかわいそうですね。一生懸命にやったことが裏目に出てしまいました。でも自然の流れには逆らえません。
そんな働き者のおじいさんは、当てもなく歩き出し、いつの間にか裏の氏神様の下へ足が向いていました。
働き者のおじいさんは、氏神様にお参りをすると、天から聞いたこともない美しい音楽とともに優しい声が聞こえてきました。
その声の主は、「裏山に行って木をひろい、町へ行きなさい」というお告げを下してくれたのです。
そこでおじいさんが、裏山に行くと昨夜の嵐によってたくさんの木々が折れて倒れていたのです。
働き者のおじいさんは、お告げ道理にそれらの木々を拾い、町にもって行ったのです。
そうすると昨夜の嵐の影響で、町の家々が壊れて材木が足らない状態になっていたのです。
ですから働き者のおじいさんがもってきた木々は飛ぶように売れたのです。
おかげで働き者のおじいさんはその年の冬が越せる分のお米などが買えることができました。
そうそうおじいさんの好きなお餅だってどっさり買って帰りました。
そして働き者のおじいさんは、とっても良いお正月を迎えることができたのです。

一方怠け者のおじいさんはというと、相変わらずゴロゴロとしており、冬を越すための食料もお正月用のお餅もありません。それでもお構いなしに一日中ゴロゴロと寝て暮らしていました。

ちょっと長くなりましたが、ここで二人のおじいさんの比較をしてみましょう。
働き者のおじいさんは常に動いていましたね。そのために稲もすくすくと成長していきました。
でも不可抗力で稲は全滅してしまいました。これは私達で言うところの悪いことです。
それでもおじいさんは氏神様のお告げ道理に町へ行き、木を売りに行ったのです。
これは、吉方位に動いたということになります。
それによりおじいさんは大金を得、食料を買うことができたのです。
動いていると良い事も悪いことも起こります。でもそれでも動いていると必ず目的は達成するのです。
それに対して怠け者のおじいさんは、何も動いていません。ですから、何の変化もありません。

これが、吉凶は動より生じるということなのです。


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